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「繋がりの力で楽天は成功した」、小林CWOが語る「楽天市場の25年」

2022年 5月12日 13:00

 楽天グループの運営する仮想モール「楽天市場」が、1997年5月1日のサービス立ち上げから25周年を迎えた。同社創業メンバーの1人である、「セイチュウさん」こと小林正忠氏は、長年に渡り楽天市場の事業責任者を務めてきた。現在は常務執行役員CWO(チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)の役職にある小林氏に、これまでの楽天市場を振り返ってもらった。
 









 ――楽天グループ(当時はエム・ディー・エム)は1997年に創業されたわけですが、当時小林さんはインターネットをどう捉えていたのですか。

 「創業メンバーのうち、3人が慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)出身なのですが、SFCの1期生である私と杉原(章郎、現ぐるなび社長)は90年からインターネットを使っていましたし、2期生の本城(慎之介、現軽井沢風越学園理事長)は91年から親しんでいました。ですから、97年の段階では7年以上、日々インターネットを使っており、現実の社会の一部と認識していたわけです」

 ――楽天創業前、小林さんは、三木谷社長のコンサルティング会社「クリムゾングループ」と業務委託契約を結んでいました。

 「業務を手伝いはじめて2カ月ほどすると『会社を作る』という話になり、三木谷に『出資して欲しい』と言われたんですが、断りました(笑)。当時は上場の仕組みなども全く知らず、そもそも自分で起業しようと思っていたので『あなたの会社に出すお金はない』と。『みんな出すから出資してよ』『お金ないなら俺が貸すから』とまで言われたんですが、ますますうさんくさい、怪しいなと思いました(笑)。でも結局根負けして、6人で出資して作った会社が、今日の楽天グループになりました」

 ――「インターネットで物を売る」ことに対して、創業時にどんな議論があったのでしょうか。

 「当時のネットショップは、開店休業状態の店が多かったんです。のれんは掲げているものの、客もいなければ店長もいない、夏なのにサイトには『あけましておめでとうございます』と書いてあったりしました。情報更新を外部に委託しているので、簡単な内容変更にも費用が発生するというハードルがあった。それをどう取り除けばいいんだろう、と考えたときに、お金をかけて外注するのではなく、自分の手で編集できるようすればいいのでは、と。商店街の魚屋が、朝は150円で売っていたサンマを夕方には100円で売るのと同じことを自分たちができるようにすれば、必ず需要はあると考えたわけです」

 ――楽天市場開設以前にも仮想モールはありましたよね。

 「三井物産の『キュリオシティ』や野村総合研究所の『電活クラブ』、NTTの『エレクトロニック・コマース・ネットワーク』などがありました。ただ、仮想モールというよりは、インターネットショッピングのリンク集のような感じで、出店料が非常に高いものもありました。そこに月額5万円完全固定という破格の値段でサービスを提供するプレイヤーが登場した。ただ、それを手掛けているのは全くの無名企業だったわけです」

 ――5万円という金額設定の理由は。

 「当時は課長・部長クラスが飲み屋で経費にできる金額が5万円くらいだったんですよ。『月5万円程度なら、飲み屋に行ったようなもの、と社長が思ってくれるんじゃないか』という話を三木谷が口にしていましたね」

 ――ただ、それでも最初はなかなか店舗が集まらなかった。

 「とにかく電話しまくり、友人知人親戚のコネクションを当たりまくり、ウルトラスーパーどぶ板営業を繰り広げたのですが、電話はガチャ切りされることがほとんどでした。1日200回電話しても1本もアポが取れなかったときは、さすがに気力が萎えそうになりましたね」

 ――出店してくれた企業には先見の明があった?

 「ネットビジネスの未来に確信を抱いていた人はほとんどいなかったと思います。面白そうだとか、付き合いで出したとか、そんな感じです。現在、当社で副社長執行役員を務める武田(和徳)は、三木谷とはハーバードビジネススクール時代の同期生です。彼は当時、トヨタ西東京カローラ(現トヨタS&Dフリート西東京)販売店の責任者をやっていたので、応援の意味を込めて出店してくれました。また、三木谷の銀行やテニス人脈で、出店事業者を紹介してもらっていました。『よなよなエール』のヤッホーブルーイングは97年から出店していますが、雑誌のベンチャー企業特集に星野(佳路、星野リゾート社長)社長(当時)が出ていたのを見て、電話したのがきっかけです。星野社長にインターネットの話をしたら『面白そうだから恵比寿で話聞くよ』となり、実際に会ったら私が大学の後輩ということもあって話が盛り上がり、契約につながりました」

 ――楽天は創業以来「エンパワーメント」という言葉を、事業の基本となる哲学として掲げています。

 「96年に三木谷とこんな話をしました。『日本経済は元気ないけど、本来はもっともっと可能性あるよね。だって、日本には素晴らしい技術や商品がたくさんある。インターネットというプラットフォームを提供することでビジネスチャンスを届けて、そして彼らが成長・成功した暁には日本が元気になる』。ただ、当時の私は英語がほとんどできなかったので『エンパワー』と言われてもピンと来なかったのですが(笑)」

 ――97年5月の流通総額が30万円、うち20万円は三木谷さんが買ったという話はおなじみですが、そこから右肩上がりに成長していったのですか。

 「すぐには伸びていません。1店舗あたり25商品しか登録できなかったのが大きい。これは、創業メンバーは誰も小売り経験が無かったので『選ぶ楽しみを提供する』ことの重要さを分かっていなかったのが原因です。ただ、小売りを知らなかったからこそ、イノベーションを起こせたんだと思っています。例えば『福袋を真夏に売る』という発想は従来の事業者にはありませんでしたが、私からすれば『何で夏にやっちゃいけないの?』。そこで『夏袋』をやったら売れたわけです」

 ――楽天市場の成長を実感したのはいつですか。

 「プロ野球に参入する直前、2004年9月までは一般への認知度はあまり高くなかったんですよ。もちろん、ジャスダックに上場していましたし、旅行事業や証券事業にも参入していましたが、まだまだ社名は知られていなかった。プロ野球参入時に三木谷の描いた絵図の通り、東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生で知名度は一気に上昇しました」

 ――ただ、03年12月期には流通総額が1000億円を超えていましたし、順調に伸びていましたよね。

 「まず流れが変わったと感じたのは、サービス開始から2年たった頃でしょうか、メディアへの露出もあり『詳しい話を聞きたいんだけど』という電話がかかってくるようになってからですね。99年下半期から出店店舗数が急速に伸びてきました。次が、日本のインターネットのインフラが変わった01年頃です。それまではダイヤルアップ接続が主流でしたが、ADSL接続が普及して通信料の完全定額が当たり前になった。そういう意味では孫(正義)さんなくして今の楽天はないんです(笑)。あのADSLモデムを無償配布する施策が日本のネットインフラを一気に引き上げ、皆が気兼ねなくネットを使えるようになり、うちのサーバーが悲鳴を上げる結果となった」

 「今までネットでウインドーショッピングをする人なんていなかったのに、皆がさまざまなページを見るようになり、店長がページを編集しようとするとサーバーに負荷がかかってお客様が買い物できなくなってしまった。仕方がないので『夜8時からは店舗のページ更新はしないでください』とお願いしていました」


 ――それが02年4月の従量課金制導入につながったわけですね。店舗からの反発は大きかったのでは。

 「築いてきた信頼を一夜にして失う、とはこのことです。02年2月20日に一斉メールで『4月1日から新制度を導入します』と通知したら『おいおい、ふざけんなよ』と猛反発を受けました。変更まで全然間がないし、しかもメール1本で済ませるなんて非常識すぎると皆さんからお叱りがあり、3月から全国を行脚して説明会を開きました。そこで『確かに、サーバーを増強しないと楽天も店も共倒れになるということは分かった。一緒に成長するために従量課金制度が必要なのは理解できるけど、せめて半年前には言ってほしい』という声をたくさんの店舗からいただいたわけです。これが今も年2回開催している『戦略共有会』誕生のきっかけです」

 ――店舗の離反を招きかねないことを考えると大ピンチでした。

 「乗り越えられた理由の1つは三木谷の覚悟です。私は店舗との距離が近かったので『ちょっと横暴だよね』という側の人間だったんです。ただ、三木谷から『セイチュウの言いたいことは分かる。でも、いちからやり直すつもりで新料金体系を納得してくれる店舗を1つずつ増やしていこう』と言われたことで覚悟が決まりました。『店舗にこちらの状況や考え、覚悟を全部伝えよう』と決意し、チームのメンバーにもその思いが共有できたこともあり、ほぼほぼ退店を出さずに済みました。5000店舗のうち、そのとき退店したのは100店舗ほど。料金体系の変更がなくても退店した店舗もあったので、それを除くと39店舗。99%以上の店舗は『苦しいけど一緒にやっていこう』とわれわれに未来を託してくださった。そういう意味では乗り越えられたもう1つの理由は、『従量課金モデルでやっていこう』という経営判断をしてくれた店舗の覚悟でしょうね。あのモデル転換がなかったら今の日本のECは無かったと思っているので、本当に店舗には感謝しています」
 
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