【トクホ 終わりの始まり 2 幻の「機能性食品㊤」】
世界をリードしたコンセプト
川端康成曰く「処女作がその作家の人生まで支配する」。国の制度や仕組みにも同じことが言えるだろう。特定保健用食品(トクホ)はなぜ、どう誕生したのか。
★
食品とは何か。
哲学的命題にも思える研究が文部科学省(省庁や法律、団体の表記は現在表記)で84年から実施された。
お茶の水女子大学の藤巻正生学長が取りまとめた「食品機能の系統的解析と展開」だ。研究では食品が持つ働きを学術的に整理。栄養機能(一次機能)、味覚感覚機能(二次機能)というこれまで知られてきた働きに加えて、生体調節機能(三次機能)という新しいコンセプトを打ち出した。
この三次機能が効果的に発現するように設計された食品を「機能性食品」と命名。トクホの源流はここにある。
さらにこのコンセプトは「FUNCTIONAL FOOD」と英訳され、世界に発信された。
米国が90年に制定した栄養表示教育法(NLEA)、94年の栄養補助食品健康教育法(DSHEA)にも大きな影響を及ぼしている。我が国は「医食同源」の歴史を有し、近代でもビタミンやアミノ酸など重要な栄養素の発見をリードした。食の文化とサイエンスを融合させたコンセプトは、日本ならではの強力な「ソフトパワー」であったと言えよう。
「この時点では間違いなく世界最先端にいた」(厚生労働省OB)。
アカデミア発のコンセプトに行政も反応する。
88年には厚生労働省が「健康食品対策室」を「新開発食品保健対策室」に改編し、機能性食品の検討の受け皿を設ける。
同年8月には同省が音頭を取り学識経験者による「機能性食品懇談会」が発足。制度化への方向性などが検討される。
示された機能性食品の定義は、時代と世界を先取りしたダイナミックなものだ(別掲)。
生体防御とはつまり「免疫」。この表示は昨年ようやく機能性表示食品制度で認められた。疾病の防止は「疾病リスク低減」。今回の検討会で実質、トクホでの拡大が「ゼロ回答」となった分野だ。さらに、現状では認められていない疾病の回復にまで踏み込んでいる。
30年以上前のコンセプトとは思えない先進性であろう。
★
業界も熱を帯びる。85年には大手食品メーカーが集まった「健康と食品懇話会」、88年には化学メーカーなどで「未来食品研究会」が新設される。さらに89年、既存の団体や製薬業界なども参加して業界横断組織「機能性食品連絡会」が立ち上がる。ここで具体的な機能性成分について作業部会を設けて、検討するなど制度化の動きを産業界からサポートする。
連絡会は発足当初、約100社。その後、異業種を含めて、250社超に拡大する。当時の熱狂ぶりが窺えよう。
何より、「機能性食品」は、薬機法と解釈を詳細に示した71年の「四六通知」で効能効果表示を徹底的に取り締まられてきた食品業界にとって、起死回生の切り札として期待された。特に怪しげで胡散臭いイメージがつきまとっていた健康食品にとっては、自らの「存在意義」と法的な「存立基盤」を確立できる絶好のチャンスでもあった。
しかし、「機能性食品懇談会」が89年4月に厚生労働省に提出した「中間報告」でお祭りムードは一変する。
「機能性食品」は、「明らか食品」に限定する方針が公表され、錠剤・カプセル・粉末など通常の食品と異なるタイプは、対象範囲外となることが事実上決まる。サプリメント形状の排除だ。過剰摂取の懸念などがその理由だったが、四六通知でカプセル・錠剤などの医薬品的剤形を規制していたことも響いた。トクホに錠剤・カプセルタイプが認められるのは2001年。米国からの規制緩和要求で食品の形状規制が無くなってからのことだ。
しかし、サプリメント形状の除外は、さらなる業界の落胆と、怒りのプロローグにしか過ぎなかった。(つづく)
機能性食品の定義
食品成分の持つ生体防御、体調リズム調節、疾病の防止と回復等に係る体調調節機能を生体に対して十分に発現できるように設計し、加工された食品。
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哲学的命題にも思える研究が文部科学省(省庁や法律、団体の表記は現在表記)で84年から実施された。
お茶の水女子大学の藤巻正生学長が取りまとめた「食品機能の系統的解析と展開」だ。研究では食品が持つ働きを学術的に整理。栄養機能(一次機能)、味覚感覚機能(二次機能)というこれまで知られてきた働きに加えて、生体調節機能(三次機能)という新しいコンセプトを打ち出した。
この三次機能が効果的に発現するように設計された食品を「機能性食品」と命名。トクホの源流はここにある。
さらにこのコンセプトは「FUNCTIONAL FOOD」と英訳され、世界に発信された。
米国が90年に制定した栄養表示教育法(NLEA)、94年の栄養補助食品健康教育法(DSHEA)にも大きな影響を及ぼしている。我が国は「医食同源」の歴史を有し、近代でもビタミンやアミノ酸など重要な栄養素の発見をリードした。食の文化とサイエンスを融合させたコンセプトは、日本ならではの強力な「ソフトパワー」であったと言えよう。
「この時点では間違いなく世界最先端にいた」(厚生労働省OB)。
アカデミア発のコンセプトに行政も反応する。
88年には厚生労働省が「健康食品対策室」を「新開発食品保健対策室」に改編し、機能性食品の検討の受け皿を設ける。
同年8月には同省が音頭を取り学識経験者による「機能性食品懇談会」が発足。制度化への方向性などが検討される。
示された機能性食品の定義は、時代と世界を先取りしたダイナミックなものだ(別掲)。
生体防御とはつまり「免疫」。この表示は昨年ようやく機能性表示食品制度で認められた。疾病の防止は「疾病リスク低減」。今回の検討会で実質、トクホでの拡大が「ゼロ回答」となった分野だ。さらに、現状では認められていない疾病の回復にまで踏み込んでいる。
30年以上前のコンセプトとは思えない先進性であろう。
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業界も熱を帯びる。85年には大手食品メーカーが集まった「健康と食品懇話会」、88年には化学メーカーなどで「未来食品研究会」が新設される。さらに89年、既存の団体や製薬業界なども参加して業界横断組織「機能性食品連絡会」が立ち上がる。ここで具体的な機能性成分について作業部会を設けて、検討するなど制度化の動きを産業界からサポートする。
連絡会は発足当初、約100社。その後、異業種を含めて、250社超に拡大する。当時の熱狂ぶりが窺えよう。
何より、「機能性食品」は、薬機法と解釈を詳細に示した71年の「四六通知」で効能効果表示を徹底的に取り締まられてきた食品業界にとって、起死回生の切り札として期待された。特に怪しげで胡散臭いイメージがつきまとっていた健康食品にとっては、自らの「存在意義」と法的な「存立基盤」を確立できる絶好のチャンスでもあった。
しかし、「機能性食品懇談会」が89年4月に厚生労働省に提出した「中間報告」でお祭りムードは一変する。
「機能性食品」は、「明らか食品」に限定する方針が公表され、錠剤・カプセル・粉末など通常の食品と異なるタイプは、対象範囲外となることが事実上決まる。サプリメント形状の排除だ。過剰摂取の懸念などがその理由だったが、四六通知でカプセル・錠剤などの医薬品的剤形を規制していたことも響いた。トクホに錠剤・カプセルタイプが認められるのは2001年。米国からの規制緩和要求で食品の形状規制が無くなってからのことだ。
しかし、サプリメント形状の除外は、さらなる業界の落胆と、怒りのプロローグにしか過ぎなかった。(つづく)
機能性食品の定義
食品成分の持つ生体防御、体調リズム調節、疾病の防止と回復等に係る体調調節機能を生体に対して十分に発現できるように設計し、加工された食品。